借主が賃料の値上げを拒否する場合、借主との交渉を重ねても調整できないことは珍しくありません。借主が賃料増額について一切応じない場合には、貸主側としては、裁判所の手続を通じた解決を目指すほかありません。まず、選択される裁判手続としては、賃料増額調停が挙げられます。
この記事では、賃料増額請求の調停とは何か、その手続きの流れと適切な対応方法について詳しく解説します。
賃料増額請求とは何か?基本的な理解
賃料増額調停について解説する前に、まずは、賃料増額請求の基本から解説していきます。
賃料増額請求が行われる背景と理由
賃料増額請求とは、賃貸借契約において貸主(大家・オーナー)が借主に対して、現在の賃料を引き上げるよう求める意思表示です。
貸主が賃料増額請求を行う背景には、様々な経済的・社会的要因が存在します。
一般的な理由の一つは、周辺地域の賃料相場の上昇です。
また、固定資産税や都市計画税などの税負担の増加も大きな要因となります。
建物の修繕や設備の更新にかかるコスト増も重要な背景です。さらに、一般的な物価上昇やインフレーションの影響も見逃せません。
最後に、契約更新時に市場実態に合わせた賃料の見直しを行うケースも多くあります。特に長期間賃料改定がなかった物件では、現行賃料と市場賃料との乖離が大きくなり、一度に調整する必要が生じることがあります。
賃料増額請求の法的根拠(借地借家法)
賃料増額請求は借地借家法第11条と第32条に明記されています。借地借家法第11条は借地権に関する規定で、第32条は建物賃貸借における賃料増額請求について定めています。
借地借家法11条
地代又は土地の借賃(以下この条及び次条において「地代等」という。)が、土地に対する租税その他の公課の増減により、土地の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍類似の土地の地代等に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって地代等の額の増減を請求することができる。
借地借家法32条
建物の借賃が、土地若しくは建物に対する租税その他の負担の増減により、土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって建物の借賃の額の増減を請求することができる。
賃料増額請求の要件
賃貸借契約における賃料増額請求が認められるためには、借地借家法で定める要件を満たし、その増額が正当と判断される必要があります。
借地借家法では、賃料増額請求できる理由が明記されており、規定された理由が存在しない場合には賃料増額請求は認められません。
- 土地や建物にかかる税金などの負担の増減があった場合
- 経済事情の変動により不動産の価値が大きく変動した場合
- 近隣同種の物件の賃料と大きな乖離がある場合


賃料増額請求の調停とは
賃料増額請求の調停とは、賃貸物件のオーナーが賃料の値上げをするために、裁判所を介して話し合いによる解決を図る法的手続きです。
調停手続の概要と特徴(調停前置主義)
調停手続は、裁判所が当事者間の紛争解決を仲裁する制度で、賃料増額請求においては特に重要な役割を果たしています。
賃料増額請求に関する紛争では、「調停前置主義」が採用されています。これは訴訟を提起する前に調停を経なければならないという原則です。調停をせずにいきなり訴訟提起されたとしても調停手続に付されてしまいます。
調停は裁判官と調停委員で構成される調停委員会が調停手続を進行し、双方の主張を聞きながら合意点を探っていきます。調停手続では、事実認定をしたり終局的な判断を示すことはなく、当事者双方が納得できる解決策を模索する点が特徴です。調停委員は、弁護士や不動産鑑定士など専門知識を持つ委員が含まれることもあり、専門的見地からの助言も期待できます。
訴訟手続との違い〜調停のメリット
賃料増額請求における調停と訴訟は、どちらも裁判所の関与する紛争解決の手段ですが、その性質には大きな違いがあります。
調停は、裁判所が当事者間の合意形成を仲裁する手続きであるのに対し、訴訟は裁判官が法的判断を下す手続きです。
費用面のメリット
調停のメリットとしては、まず費用面で訴訟より安価であることが挙げられます。訴訟では訴額に応じた印紙代が必要ですが、調停申立ての印紙代は低額です。また、弁護士費用も訴訟に比べて抑えられる傾向にあります。さらに、ケースバイケースですが、調停であれば不動産鑑定士の費用をかけずに臨むこともできるため、鑑定士の鑑定費用を抑えることができます。
時間的なメリット
時間的にも訴訟より短期間で解決できることが多いです。訴訟であれば、1年以上の期間を要することは珍しくありません。一方で、調停手続であれば、半年前後で解決することもあります。
柔軟解決が実現できるメリット
調停では、当事者同士が話し合いによって解決策を見出すため、互いの事情を考慮した柔軟な解決が可能です。他方で、訴訟では、裁判官による判決によって解決を図るため、硬直的な解決となる可能性もあります。ただし、裁判上の和解が成立する場合には、調停と同様に柔軟な解決を図ることもできます。
調停のデメリット
一方、調停のデメリットとしては、合意が成立しなければ解決しないという不確実性があります。当事者の一方が譲歩しない場合、調停不成立となり、結果的に時間だけが経過してしまうことも。また、調停手続には強制力はないため、当事者双方が誠実に調停手続に向き合わなければ、調停による解決は実現されません。
賃料増額請求の調停手続きの流れ
賃料増額請求の調停手続きの流れを解説していきます。調停手続の流れを理解することで準備を万全にできるでしょう。
調停の申立てと必要書類
賃料増額請求の調停を申し立てるには、管轄の簡易裁判所に必要書類を提出する手続きが必要です。
まず申立書を作成します。申立書には、当事者(申立人・相手方)の氏名・住所、申立ての趣旨(いくらの賃料増額を求めるか)、申立ての理由(賃料増額が必要な具体的理由等)を明記します。賃料増額請求の調停では、現在の賃料額と希望する増額後の賃料、その根拠となる事情変更などを具体的に記載することが重要です。
申立書と共に提出する添付資料や証拠書類には以下のものがあります。
- 賃貸借契約書のコピー
- 対象物件の登記簿謄本
- 賃料増額の根拠となる資料(査定書、鑑定意見書、周辺相場資料など)
- 申立てまでの経緯が分かる資料(内容証明等)
- 申立手数料の収入印紙
- 郵便切手
調停の期日当日の流れ
調停申立てをすると、初回の調停期日の調整をするために裁判所から連絡がきます。
調停の期日が決まると、裁判所から相手方に対して調停期日の通知書が送付されます。
初回期日に裁判所に出向き、受付を済ませると、専用の待合室に案内されます。所定の時刻になると調停委員が待合室に呼びに来ますので、調停室に入室します。
調停室に入室後、身分確認や調停手続の説明を受けます。その上で、調停委員から申立てに至る経緯を聴取した上でそれぞれの主張を聴取します。賃料増額請求の調停では、貸主側から増額を求める理由や根拠となる資料が提示され、借主側はそれに対する意見を述べる機会が与えられます。
調停期日では、当事者双方が専用の待合室で待機しながら、それぞれが入れ替わる形式で調停室に入室して、調停委員の聴き取りを受けます。相手との対面がないため、感情的な対立を回避することが可能になります。
調停期日の時間
一回の調停期日は、1時間半から2時間程行われますが、入れ替わる形式であることや裁判官と調停委員の評議が行われることから、一回の調停期日で調停室に入室して話をする時間は40分前後しか確保できません。
1人あたりに割り当てられる時間は限られているため、聞かれたことに対して端的に回答できるよう、事実関係や経過をあらかじめ整理するなど工夫をすることが大切です。
調停手続のスケジュール
調停期日は通常1ヶ月半〜2ヶ月間隔で設定され、案件の複雑さに応じて3回から10回程度継続することもあります。調停委員から指示された主張書面の作成や資料の提出を期日間で行います。
各調停期日では提出された書類等を踏まえながら、歩み寄りの可能性を探りながら、最終的な合意案の形成に向けて段階的に進行していきます。
査定書や鑑定書を証拠資料として提出する
賃料増額請求の調停において、適正賃料額を説明するためには、客観的な証拠資料が不可欠です。いくら口頭で現行の賃料が不相当であると叫び続けても説得力に欠けます。なぜ、現行賃料が不相当であるかを客観的な資料を基礎に論理的に説明できなければなりません。特に重要なのが、不動産業者による査定書や不動産鑑定士の鑑定書です。不動産業者による査定書は比較的簡易な評価で、周辺相場や物件の特性を考慮して作成されます。一方、鑑定書は、不動産鑑定士による専門的な知見に基づく鑑定意見書で、裁判所でも高い信頼性を持ちます。
調停の場では、これらの証拠資料をもとに双方が主張を展開していきますが、訴訟手続ほどの厳格さは求められず、鑑定書の費用負担を減らすため、不動産業者の査定書のみを証拠として提出することも多くあります。
適正賃料の算定方法
賃料の増額請求において、適正な賃料額を算定することは非常に重要です。
適正賃料の算定方法は以下のものが代表的です。
- 利回り法(積算法)
- 賃貸事例比較法
- スライド法
- 差額配分法
- 収益分析法
いずれの計算方法も合理的な方法ではありますが、裁判実務では単に1つの方法のみを適用して適正賃料を計算するのではなく、複数の計算方法を総合的に考慮して適正な賃料額を算出します。
賃料増額請求の調停を受けた場合の対応策
裁判所から、賃料増額の調停に関する通知を受け取った場合には、借主側が取るべき対応を解説します。
調停通知を受け取ったときの初期対応
焦らずに冷静かつ戦略的な対応が必要です。一方で受け取っても、これを放置せずに適切な対応を心がけましょう。
まず通知内容を精査し、請求の根拠や増額幅を確認しましょう。賃料増額請求に理由があるかを判断するため、周辺相場、物件の評価額、固定資産税や路線価の変動、過去の賃料改定履歴などの情報収集が重要です。
反論の準備と根拠資料の収集方法
貸主の賃料増額請求を全面的に受け入れることができないために、調停の申立てに至っているのが通常です。そのため、借主側としては、貸主の賃料増額請求に対して適切な反論をする必要があります。
反論する場合は、不動産業者の査定書や鑑定士の鑑定書などの具体的な根拠資料を準備します。専門家への相談も検討すべきです。多くの人にとって、裁判所の調停手続は初めての経験です。貸主との情報量の格差が大きいこともよくあります。そのため、早い段階での弁護士への相談が有益です。
調停期日における対応
調停の場では、感情的にならず事実と根拠に基づいた冷静な対応を心がけましょう。妥協点を見出す姿勢も重要です。完全な拒否ではなく、段階的な増額や設備改善を条件とした部分的な受入れなど、双方が納得できる解決策を模索することが調停を有利に進める鍵となります。
最終的には、継続して物件を使用する必要性と増額後の負担を比較検討し、移転コストや立退料などを踏まえて、物件からの退去も視野に入れることもあります。
調停の成立・不成立と今後の展開
調停では、双方の合意によって解決策が見出された場合に「調停成立」となります。調停が成立すると、その内容は裁判所の判決と同等の効力を持ち、法的拘束力を持ちます。つまり、合意された新しい賃料や支払条件に従う義務が生じるのです。
一方、話し合いがまとまらず「調停不成立」となった場合は、調停手続は終結します。調停が不成立となれば、貸主側が訴訟を提起するケースが一般的です。
訴訟に移行した場合、より厳格な証拠調べや法的判断が行われることになります。裁判では、不動産鑑定士による鑑定書などの専門的な証拠が重視され、周辺相場や経済事情の変動などを総合的に考慮して判断されます。借主としては、弁護士などの専門家に依頼して対応することが望ましいでしょう。
賃料増額請求の調停から訴訟へと進んだ場合でも、最終的な判決までには1年前後の期間がかかることが多く、その間の経済的な負担や心理面の負担を考慮すると、可能な限り調停段階での合意を目指すことが双方にとって有益といえるでしょう。
賃料増額請求の調停に関するよくある質問
賃料増額請求の調停に関して、多くの方が疑問や不安を抱えています。ここでは特に頻繁に寄せられる質問とその回答をご紹介します。
調停に応じなかった場合どうなるのか
借主が、裁判所からの調停の呼び出しに応じなかった場合、どうなるのかを回答します。
借主が初回期日に欠席しても、これをもって直ちに調停が不成立となるわけではありません。通常、再度調停期日が指定されます。それでもなお、借主が調停期日に出頭しない場合には、調停が成立する余地がないと判断されて、調停は不成立となります。この場合には、貸主が賃料増額の訴訟提起をするのが一般的です。訴訟手続でも欠席を続けてしまうと、裁判所は貸主の賃料増額を全面的に認める判決を出すのが通常です。
賃料はいつから増額されるのか?
賃料増額の効力は、貸主が借主に賃料増額請求を通知した時から発生します。
そのため、賃料増額が調停や訴訟を通じて確定した場合、借主は、賃料増額請求した日以降の差額賃料、つまり、増額賃料と現行賃料との差額を支払う義務を負います。
そのため、調停や交渉が長引いたとしても、最終的に増額が認められれば、請求時点まで遡って新旧賃料の差額を支払う必要が生じるのです。例えば、賃貸人が2023年1月に増額請求を行い、調停が同年8月に成立した場合、1月から7月までの7ヶ月分の差額を支払うことになります。その上、この差額賃料には、年1割の遅延損害金も発生しますので注意が必要です。
賃料増額調停は難波みなみ法律事務所へ

本記事では、賃料増額請求の調停について詳しく解説してきました。
調停は裁判所が間に入り、当事者間の合意形成を目指す制度で、訴訟より柔軟かつ迅速な解決が期待できます。
調停の手続きは申立てから始まり、調停委員が双方の主張を聞きながら適正な賃料額を模索していきます。賃料増額請求の調停は、貸主と借主の利害が対立する場面ですが、双方が納得できる解決策を見出すための重要なプロセスです。