退去時に高額な原状回復費用を請求され、「こんなものなのか」と諦めて支払ってしまう方は少なくありません。
しかし、原状回復とは「入居時の状態に完全に戻すこと」ではありません。 借主が負担すべきなのは、自分の故意・過失で生じた損傷の修繕費用に限られます。経年劣化や通常の生活でできる傷・汚れは、原則として貸主(大家)の負担です。
請求書を受け取ったら、その場で支払う前に、本記事のチェックリストで内容を確認してください。
早見表:誰が・どこまで負担するのか
| 損耗の種類 | 具体例 | 負担者 |
|---|---|---|
| 通常損耗 | 壁紙の汚れ、畳の擦れ、家具の設置跡、画鋲の穴 | 貸主 |
| 経年劣化 | 壁紙の日焼け、設備の自然な劣化 | 貸主 |
| グレードアップ | 旧式設備を最新型に交換 | 貸主 |
| 特別損耗 | 飲み物のシミ放置、水漏れ放置による腐食、落書き、油汚れの放置 | 借主(ただし耐用年数による減価あり) |
「通常の生活で生じるもの」か「自分の不注意・手入れ不足で生じたもの」かが、負担の分かれ目です。
原状回復義務の法的根拠
借主の原状回復義務は、2017年の民法改正で明文化されました。
改正民法621条(賃借人の原状回復義務)
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
ポイントは「通常の使用及び収益によって生じた損耗」と「経年変化」が、はっきり対象外と明記されている点です。
通常損耗・経年劣化は払わなくていい
通常損耗とは
借主が部屋を普通に使っていれば自然に生じる損耗です。家賃には、こうした通常の使用に伴う消耗分があらかじめ含まれていると考えられているため、原則として貸主の負担になります。
通常損耗の例
- 畳の擦れ、壁紙の汚れ
- テレビ・冷蔵庫の背面の黒ずみ
- 画鋲・ピンの穴
- エアコン設置によるビス穴
経年劣化とは
借主の使用とは関係なく、年数の経過だけで生じる汚れや傷です(例:壁紙の日焼け)。これも借主の負担対象にはなりません。
グレードアップ費用も貸主負担
退去時に古い設備を最新のものに交換する場合、これは建物の価値を高める「グレードアップ」であり、通常の使用による損耗ですらありません。当然、貸主の負担です。
こんなお悩みはありませんか?
- ✓ 退去時に高額な原状回復費用を請求され、納得できない
- ✓ 請求書の内訳が、通常損耗まで含んでいる気がする
- ✓ 敷金から差し引かれた金額に納得できず、返金を求めたい
支払う前に、まず内容を精査することが重要です
特別損耗は借主の負担
借主の故意・過失・善管注意義務違反によって生じた損耗(特別損耗)は、借主の負担となります。
特別損耗の例
- カーペットに飲み物をこぼし、放置してできたシミ
- エアコンの水漏れを放置したことによる床の腐食
- 落書きなど故意の毀損
- 手入れを怠ったことによる台所の油汚れ
ただし、特別損耗があっても、補修費用の全額を負担するわけではありません。 次章の「耐用年数による減価」が関わってきます。
耐用年数による減価の計算方法

設備は時間の経過とともに価値が下がります。10年前に10万円だったフローリングが、今も10万円の価値があるわけではありません。価値が目減りした分を新品の費用に含めて借主に請求するのは不公平なため、税法上の耐用年数の考え方を使って減価を計算します。
設備ごとの耐用年数
| 設備 | 耐用年数 |
|---|---|
| 畳床・カーペット・クッションフロア | 6年 |
| クロス(壁紙) | 6年 |
| 冷暖房機器 | 6年 |
| 電気冷蔵庫・ガス機器 | 6年 |
| インターホン | 6年 |
| トイレの便座 | 8年 |
| 給排水・衛生設備(便器・洗面台等) | 15年 |
| ユニットバス・浴槽 | 15年 |
| フローリング | 建物の耐用年数に準ずる |
建物の耐用年数
| 構造 | 耐用年数 |
|---|---|
| 木造(住宅用) | 22年 |
| 軽量鉄骨造(住宅用) | 19年 |
| 重量鉄骨造・鉄骨造(住宅用) | 34年 |
| 鉄骨鉄筋コンクリート・鉄筋コンクリート(住宅用) | 47年 |
計算のポイント
耐用年数を過ぎた設備の価値は1円になります。 つまり、耐用年数を超えた設備であれば、新品交換の費用を借主が負担する必要はありません。
ただし、新品の部材費用がゼロになるだけで、人件費・交通費・工具備品代といった工事費用そのものは負担が必要になる場合があります(借主の義務違反により本来不要だった工事を行うことになるため)。
計算イメージ 入居5年目で壁紙(耐用年数6年)にタバコのヤニ汚れがあった場合 → 残存価値は約1/6に近い割合まで減価しているため、借主が負担すべき金額は新品交換費用よりかなり低くなります。
以上をまとめると、借主は①通常損耗や経年劣化による損耗を負担する義務はなく、②特別損耗であっても、設備の減価を考慮した金額の限度で原状回復費用を負担することになります。
部分補修か全体補修かでも変わる
壁紙の一部だけを補修すると、他の部分と色・模様にズレが生じることがあります。そこで、全体の見た目を統一するために壁全体を張り替えるケースがありますが、これは建物価値の維持・向上に寄与するグレードアップ的な側面を持つため、全体の補修費用をそのまま借主に負担させることはできません。補修費用の一部のみが借主負担となるのが一般的です。
借主の負担割合と裁判例
借主は①通常損耗や経年劣化による損耗を負担する義務はなく、②特別損耗であっても、設備の減価を考慮した金額の限度で原状回復費用を負担することになります。

耐用年数の過ぎた設備であれば、新品の設備費用は負担する必要はなく、耐用年数の過ぎていない設備であれば、残っている価値の限度で負担すれば足ります。
しかし、設備自体の費用を除いた工事費用のうち、どの部分が通常損耗で、この部分が特別損耗に該当するといったことを特定することは簡単ではありません。
そのため、個別の工事費用のうち借主の責任割合を認定することになります。
責任割合を認定する統一的な基準はありませんが、
- 借主の故意過失や契約違反の悪質性
- 賃貸期間
- 賃貸者契約の内容
- 建物の築年数
等の様々な事情を踏まえて、工事費用の負担割合を認定します。
具体例(東京地裁判決 平成25年11月8日)
| 工事内容 | 事情 | 借主負担割合 |
|---|---|---|
| フローリング全面張替 | ペット飼育による一部腐食、新築後17年、損傷部位は一部のみ | 30% |
| クロス張替え | カビ・猫の糞尿等による汚れ、賃貸期間約12年4か月、残存価値はほぼなし | 0%(負担なし) |
| 居室扉交換 | ドアノブ破損、猫の爪研ぎによる縁の破損、賃貸期間約12年4か月 | 20% |
この判例からも分かる通り、長期間住んでいるほど、また経年劣化の影響が大きいほど、借主負担は小さくなる傾向があります。
「通常損耗を借主負担とする特約」は有効か
賃貸借契約に「通常損耗も借主が負担する」という特約が結ばれている場合、その特約が有効であれば、借主は通常損耗分も負担しなければなりません。
ただし、居住用の賃貸借契約では消費者契約法が適用されるため、特約が有効と認められる条件は厳格です。
特約が有効となるための3条件
- 特約の必要性があり、かつ暴利的でないなど客観的・合理的な理由が存在すること
- 賃借人が、特約によって通常の原状回復義務を超えた負担を負うことを認識していること
- 賃借人が、その負担について義務負担の意思表示をしていること
多くの裁判例では、契約書の記載が抽象的・包括的にとどまる場合、特約は無効と判断されています。負担範囲・工事内容・施工単価などが具体的に明記されていない特約は、効力が認められにくい点を覚えておきましょう。
高額請求を受け取ったときのチェックリスト
退去時の請求書を受け取ったら、支払う前に以下を確認してください。
Q. 敷金から原状回復費用が一方的に差し引かれていました。取り戻せますか?
A. 差し引かれた費用が通常損耗・経年劣化を含む不当な内容であれば、過払い分の返還を請求できる可能性があります。明細を確認のうえご相談ください。
Q. 退去時の立会いで「サインしないと帰れない」と言われ、合意書にサインしてしまいました。無効にできますか?
A. 状況によります。強迫的な状況下での合意は無効・取消しの主張ができる可能性がありますが、個別の事情の確認が必要です。
Q. 国土交通省のガイドラインに法的な強制力はあるのですか?
A. ガイドライン自体に法的拘束力はありませんが、多くの裁判例が判断基準として参照しており、実務上は極めて重要な指針です。
Q. クリーニング特約があれば、ハウスクリーニング費用は払わないといけませんか?
A. ハウスクリーニング特約は、金額が明記されているなど要件を満たせば有効とされることが多いです。契約書の記載内容次第ですので、確認をお勧めします。
Q. もう支払ってしまいました。今からでも取り戻せますか?
A. 支払い後でも、不当利得返還請求などの手段で取り戻せる可能性があります。時間が経つほど証拠の確認が難しくなるため、お早めにご相談ください。
原状回復の問題は弁護士にご相談ください
貸主側は、通常損耗・経年劣化の概念を意識せずに高額な原状回復費用を請求してくることが少なくありません。また、借主側も「設備を傷つけてしまった」という罪悪感から、つい高額請求に応じてしまいがちです。
原状回復費用の妥当性を判断するには、専門的な知識と経験が必要です。請求内容に少しでも疑問があれば、支払う前にご相談ください。
弁護士に依頼するメリット
- 原状回復費用の適切な金額を教えてもらえる
- 貸主との交渉・手続きを一任できる
- 賃貸借関係全般について相談できる
- ご自身に有利な条件での解決を図れる
難波みなみ法律事務所
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