結論から
Q. 医療事故の慰謝料に「相場」はありますか。
A. 慰謝料そのものには目安があります。入通院慰謝料・後遺障害慰謝料・死亡慰謝料は、交通事故の実務で確立した算定基準を参考に計算するのが一般的です。ただし医療事故では、そこから元の病気(原疾患)の影響分をどう扱うかが最大の争点になります。慰謝料の表だけを見ても答えは出ません。
Q. 「元の病気のせいだ」と言われたら諦めるしかありませんか。
A. そんなことはありません。裁判実務では、診療の対象であった病的状態は、まさに診療の対象なのだから素因減額の対象にならないと整理されています。医師が認識していた、あるいは認識できたはずの病状も同じです。減額を主張するのは医療機関側であり、その根拠を示す責任も医療機関側にあります。
Q. 裁判をすれば認めてもらえますか。
A. 判決まで進んだ場合、患者側の請求が認められる割合は令和7年で23.9%です。民事第一審通常訴訟全体の87.2%と比べて著しく低い水準です。一方で、終了した事件の51.3%は判決ではなく和解で終わっています。医療訴訟は「判決で勝つ」より「和解で解決する」ほうが多い類型です。
医療事故のご相談で最も多いご質問が「慰謝料はいくらもらえますか」というものです。検索すれば、後遺障害等級ごとの金額表はすぐ見つかります。
ただ、その表をそのまま自分のケースに当てはめても、実際の金額にはなりません。医療事故には、交通事故にはない事情があるからです。患者にはもともと治療を必要とする病気があり、患者は医師を信頼して身体への侵襲を受け入れている。この二つが、金額の算定を交通事故とは別のものにしています。
この記事では、慰謝料の計算方法を算定表とあわせて示したうえで、医療事故だから金額が動く部分を、最高裁が公表している統計と裁判例で説明します。
数字で見る医療訴訟の現在地
金額の話に入る前に、医療訴訟がどういう手続なのかを押さえておきます。以下はすべて最高裁判所が公表している「医事関係訴訟に関する統計」の数値です(令和7年は速報値)。
認容率は約2割。通常の民事訴訟とは別世界
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| 年 | 医事関係訴訟の認容率 | 民事第一審通常訴訟の認容率 |
|---|---|---|
| 平成28年 | 17.6% | 80.0% |
| 平成29年 | 20.5% | 84.9% |
| 平成30年 | 18.5% | 85.5% |
| 令和元年 | 17.0% | 85.9% |
| 令和2年 | 22.2% | 86.7% |
| 令和3年 | 20.1% | 84.3% |
| 令和4年 | 18.4% | 84.3% |
| 令和5年 | 20.0% | 86.3% |
| 令和6年 | 17.8% | 87.5% |
| 令和7年 | 23.9% | 87.2% |
認容率は、判決の総数に対して認容(一部認容を含む)の件数が占める割合です。医事関係訴訟の認容率は地方裁判所の事件を基礎としています。
10年間、医事関係訴訟の認容率は17%台から23%台の範囲で推移しています。通常の民事訴訟が8割台後半であることと比べると、患者側が判決で勝つのは容易ではありません。
理由ははっきりしています。医学的に何が起きたのかという専門的判断が必要であり、しかも判断材料である診療記録は、相手方である医療機関が作成し保管しているからです。
それでも半分は和解で終わっている
ただし、認容率23.9%という数字だけを見て「9割近く負ける」と考えるのは誤りです。認容率は判決まで進んだ事件の中での割合にすぎません。
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| 終わり方 | 医事関係訴訟 | 民事第一審通常訴訟 |
|---|---|---|
| 和解 | 51.3% | 35.8% |
| 判決 | 35.8% | — |
| その他(取下げ等) | 12.9% | — |
令和7年の終局区分別既済割合。「その他」には請求の認諾、請求の放棄、取下げ等が含まれます。四捨五入のため合計が100.0%にならない場合があります。
医事関係訴訟では、終了した事件の半分以上が和解で終わっています。通常の民事訴訟の和解率35.8%を大きく上回ります。この記事の後半で、和解で決まる金額の考え方を扱います。
平均審理期間は約2年
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| 年 | 医事関係訴訟 | 民事第一審通常訴訟 |
|---|---|---|
| 令和2年 | 26.1か月 | 9.9か月 |
| 令和3年 | 26.7か月 | 10.5か月 |
| 令和4年 | 26.4か月 | 10.5か月 |
| 令和5年 | 26.4か月 | 9.8か月 |
| 令和6年 | 24.7か月 | 9.2か月 |
| 令和7年 | 24.1か月 | 8.9か月 |
各年の既済事件の平均審理期間。民事第一審通常訴訟には医事関係訴訟も含まれます。
提訴から判決・和解までの平均が24.1か月、通常の民事訴訟の約2.7倍です。しかもこれは提訴後の期間であり、提訴前の診療記録の入手と医学的検討にさらに数か月から1年以上を要するのが通常です。
弁護士のひとこと
ご相談の場面で私が最初にお伝えするのは、金額ではなく時間の話です。「今日ご相談いただいて、解決まで3年前後を見ておいてください」と申し上げると、多くの方が驚かれます。ただ、この見通しを最初に共有しておかないと、途中で気持ちが折れてしまいます。医療事故の解決は、金額の交渉である以上に、長い時間をご家族と一緒に歩く仕事だと考えています。
診療科目別の傾向
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| 診療科目 | 新受件数 | 割合 |
|---|---|---|
| 内科 | 139件 | 21.6% |
| 歯科 | 92件 | 14.3% |
| 外科 | 79件 | 12.2% |
| 整形外科 | 56件 | 8.7% |
| 形成外科 | 54件 | 8.4% |
| 産婦人科 | 30件 | 4.7% |
| 精神科(神経科) | 22件 | 3.4% |
| その余の診療科目 | 173件 | 26.8% |
令和7年の医事関係訴訟(地方裁判所)の診療科目別新受件数、合計645件。複数の診療科目に該当する場合は主要な一科目に計上されています。この数値は各診療科における医療事故の起こりやすさを表すものではありません。
請求できる損害の全体像
日常語の「慰謝料」は賠償金全体を指して使われますが、法律上の慰謝料は損害の一項目にすぎません。医療事故で請求する損害項目は、交通事故の実務にならって次のように整理されます。
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| 区分 | 主な項目 |
|---|---|
| 積極損害 (実際に支出したお金) | 治療費、付添費用、入院雑費、通院交通費・宿泊費、装具・器具等購入費、葬儀関係費用、損害賠償請求関係費用(診断書・文書料等)、後見等関係費用、弁護士費用 |
| 消極損害 (得られたはずのお金) | 休業損害、後遺症による逸失利益、死亡による逸失利益 |
| 精神的損害 | 入通院慰謝料、後遺症慰謝料、死亡慰謝料、近親者慰謝料 |
見落とされやすい項目が二つあります。
ひとつは後見等関係費用です。重い後遺障害が残って判断能力を失った場合、賠償を請求するために成年後見開始の申立てが必要になります。その費用も損害に含まれます。
もうひとつは近親者慰謝料です。亡くなった方本人の慰謝料とは別に、ご遺族固有の慰謝料が認められます。後で述べるとおり、高齢の方が亡くなった事案では、この近親者慰謝料を含めた合計額で評価されることが実務上重要になります。
金額の大きさでいえば、重い後遺障害が残った事案や死亡事案では、逸失利益と将来介護費が慰謝料を上回ることが珍しくありません。慰謝料の表だけを見て賠償額を見積もると、実際とは大きくずれます。
入通院慰謝料の算定表
入通院慰謝料は、入院と通院の期間に応じて算定表から求めます。医療事故の損害算定でも、交通事故の実務で確立している算定基準を参考にするのが一般的です。
算定基準は複数あり、東京を中心に用いられる基準(実務では「赤い本」と呼ばれます)、全国的な基準(「青本」)、大阪地方裁判所を中心に用いられる基準(「緑本」)で数値が異なります。当事務所は大阪ですので、緑本と赤い本を並べて示します。
算定表は交差するセルを読む
最初に、計算方法で最も多い誤りをお伝えします。入院分と通院分を別々に計算して足してはいけません。算定表は縦軸に通院期間、横軸に入院期間をとった一覧表で、両者が交差するセルの金額がその事案の慰謝料額です。
たとえば入院3か月・通院3か月なら、「通院3か月の額」と「入院3か月の額」を足すのではなく、通院3か月の行と入院3か月の列が交わるセルを読みます。足し算をすると実際より大幅に高い金額が出ます。
入通院慰謝料の目安
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| 入通院の状況 | 緑本(大阪基準) | 赤い本 別表I |
|---|---|---|
| 通院のみ 3か月 | 72万円 | 73万円 |
| 通院のみ 6か月 | 120万円 | 116万円 |
| 通院のみ 12か月 | 166万円 | 154万円 |
| 入院1か月+通院3か月 | 119万円 | 115万円 |
| 入院3か月+通院3か月 | 193万円 | 188万円 |
| 入院3か月+通院6か月 | 213万円 | 211万円 |
| 入院6か月+通院6か月 | 275万円 | 282万円 |
| 入院6か月+通院12か月 | 296万円 | 298万円 |
緑本は平成17年基準の通常表、赤い本は別表Iの数値です。この表にない月数の組合せも、算定表の交差するセルから求めます。緑本には通常表のほかに重傷表があり、傷害の程度によってはそちらを用いることがあります。
弁護士のひとこと
金額の提示を受けたとき、私がまず確認するのは「どの基準のどのセルを使ったか」です。どの算定表を用いたか、交差セルを読んでいるか、期間の起算点はいつか。この三点を確認するだけで、提示額が数十万円単位で動くことがあります。提示書に計算過程が書かれていない場合は、根拠を出すよう求めてください。
通院が長期かつ不規則な場合の頭打ち
通院期間が長くても実際の通院日数が少ない場合、期間をそのまま当てはめては計算しません。実通院日数を基準に通院期間を修正して算定します。医療事故では、症状が長期にわたって残る一方で通院の間隔が空くケースがあり、この修正の当否は争点になりやすい部分です。
後遺障害慰謝料
治療を続けても症状が残った場合、その程度に応じた後遺障害慰謝料を請求できます。等級は1級から14級までです。
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| 等級 | 慰謝料の目安 | 等級 | 慰謝料の目安 |
|---|---|---|---|
| 1級 | 2,800万円 | 8級 | 830万円 |
| 2級 | 2,370万円 | 9級 | 690万円 |
| 3級 | 1,990万円 | 10級 | 550万円 |
| 4級 | 1,670万円 | 11級 | 420万円 |
| 5級 | 1,400万円 | 12級 | 290万円 |
| 6級 | 1,180万円 | 13級 | 180万円 |
| 7級 | 1,000万円 | 14級 | 110万円 |
医療事故には等級を認定してくれる機関がない
ここが交通事故との大きな違いです。
後遺障害の等級は、もともと労災補償の認定基準として作られたもので、交通事故の実務もこれに基づいて評価しています。医療事故でも、労災補償の認定基準や交通事故の実務の基準を参考に判断することになります。
ただし、医療事故には、交通事故の自賠責保険のように等級を認定してくれる手続がありません。後遺障害診断書のひな形も存在しないため、各医療機関の診断書を用いて作成することになります。記載すべき内容によっては、「後遺障害診断書」ではなく「意見書」という形が適することもあります。
等級表に載っていない後遺症はどうするか
医療事故では、労災補償や交通事故では想定されていない後遺症が生じることが少なくありません。この場合、等級表に載っていないからといって諦める必要はありません。
実際に生じた被害がどの等級と同程度なのかを検討したうえで、被害の内容と程度を主張立証し、「◯級相当」の後遺障害が存在することを前提として請求するのが実務の扱いです。
大阪地方裁判所平成10年9月28日判決と同平成14年8月28日判決は、コントラスト感度という視機能が低下した被害について、後遺障害等級表に記載はないものの、12級または14級に相当する後遺障害であると認めました。
弁護士のひとこと
「等級表にないから後遺障害ではない」という説明を受けて相談に来られる方がいます。それは違います。等級表は交通事故と労災を念頭に作られたもので、医療によって生じる障害の全部を書き切れてはいません。大事なのは、日常生活と仕事のどこがどれだけ制約されているかを、医学的な裏づけとともに示すことです。
死亡慰謝料
患者が亡くなった場合の慰謝料です。亡くなった方本人の慰謝料と、ご遺族固有の慰謝料を合わせた金額として、次の水準が目安になります。
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| 亡くなった方の立場 | 緑本(大阪基準) | 赤い本(東京) |
|---|---|---|
| 一家の支柱 | 2,800万円 | 2,800万円 |
| 母親・配偶者 | 2,000万〜2,500万円 (区分を分けず「その他」でまとめる) | 2,500万円 |
| その他 (独身の方・お子さん・高齢の方など) | 2,000万〜2,500万円 | 2,000万〜2,500万円 |
緑本は「一家の支柱」と「その他」の2区分で、赤い本のような「母親・配偶者」の区分はありません。実際の金額は事案の内容により増減します。
高齢だからという理由で減額されるべきではない
ご高齢の患者が亡くなった事案では、「もともと平均余命が短かったのだから」という理由で低い金額を提示されることがあります。
しかし実務の考え方は違います。人の生命は基本的に等しいものとして評価すべきであり、高齢であることの一事をもって死亡自体の慰謝料額に影響を与えるべきではないと整理されています。
裁判例でも、予後が不良であったことが想定されていたなどの事情がない限り、死亡慰謝料として、ご遺族固有の慰謝料を含めた合計2,000万円以上が認められたケースはよく見られます。大阪地方裁判所令和3年2月17日判決、京都地方裁判所令和元年5月31日判決、東京地方裁判所平成30年3月8日判決などがその例です。
弁護士のひとこと
ご高齢のお父様、お母様を亡くされたご遺族から「歳だったから仕方ないと言われた」というお話を伺うことがあります。その言葉にどれほど傷つかれたかを思うと、私は必ずこの点を争います。余命の長短は、逸失利益の計算では考慮される場面がありますが、死亡そのものに対する慰謝料の話とは別です。
逸失利益の計算
逸失利益は、事故がなければ将来得られたはずの収入です。慰謝料と並んで、賠償額の大きな部分を占めます。
基礎収入 × 労働能力喪失率 × 労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数
基礎収入 ×(1 − 生活費控除率)× 就労可能年数に対応するライプニッツ係数
生活費控除率
亡くなった方が生きていれば収入を得た一方で、その方自身の生活費も支出されたはずです。そこで収入から本人の生活費相当分を差し引きます。控除率は低いほど賠償額が大きくなります。
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| 亡くなった方の立場 | 赤い本(東京) | 緑本・青本 |
|---|---|---|
| 一家の支柱(被扶養者1人) | 40% | 一家の支柱および女性 30〜40% |
| 一家の支柱(被扶養者2人以上) | 30% | |
| 女性 | 30% | |
| 男性(独身の方・お子さんを含む) | 50% | 50% |
年金収入が中心の方については、生活費控除率を50%から60%とする例が多くなります。年金は本人の生活のために費消される割合が高いと考えられているためです。
医療事故でしか出てこない損害
ここからは、交通事故の計算方法をそのまま当てはめられない部分です。まず、交通事故では問題になりようがない損害項目から取り上げます。
失敗した手術の費用は返してもらえるか
手術に過失があった場合、その手術の代金そのものを損害として請求できるか、という問題があります。
ここで壁になるのが、診療契約が準委任契約であるという点です。準委任契約は事務処理そのものを目的とする契約であり、結果の実現を目的とする請負契約とは違います。そのため、当初予定された結果が実現しなかったとしても、診療行為の内容が契約当初に予定された範囲に属する限り、治療費は患者が支払うべきものと考えられています。
このことから、医療行為に過失が認められた場合であっても、その手術代金を損害と認定しない裁判例も少なからずあります(東京地方裁判所平成18年7月28日判決など)。
一方で、手術代金相当額を損害と認めた裁判例もあります。
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| 裁判例 | 認められた理由 |
|---|---|
| 東京地方裁判所 平成19年1月29日判決 | 豊胸手術により脇の下に傷跡が残り、乳房の形が不自然となった事案で、本件手術は無駄に帰し再手術が必要になったとして、手術代金を損害と認めた |
| 東京地方裁判所 平成15年7月30日判決 | 切開位置を誤った過失により本件手術の目的が達成されなかったとして、手術費用相当額を損害と認めた |
| 大阪地方裁判所 平成14年8月28日判決 | 近視矯正手術の事案で、手術代金相当額を損害と認めた |
判断を分けているのは、その医療行為が結果的に無意味ないし無価値であったといえるかどうかです。再手術が必要になった、手術の目的がまったく達成されなかったという事情があるなら、請求を検討すべき項目です。
医療事故の慰謝料は、交通事故と同じでよいのか
ここまで、交通事故の算定表を使って慰謝料を計算する方法を説明してきました。実務でもそうしています。しかし、それで本当によいのか、という議論があります。
交通事故は偶発的に起きます。加害者と被害者の間に、それ以前の関係はありません。
医療事故は違います。患者と医療機関の間には診療契約という契約関係があり、患者は医師を信頼して身を委ね、身体に対する侵襲を甘んじて受け入れています。信頼して預けた身体を傷つけられたことの精神的苦痛は、偶発的に巻き込まれた交通事故の苦痛と同じではない。特に医師側に基本的なミスがあった場合には、交通事故より高額の慰謝料になるべきである。患者側の実務では、こうした立論がされています。
実際に交通事故より高額を認めた裁判例
東京地方裁判所平成18年7月26日判決は、帝王切開術による出産の9時間後に患者女性が亡くなった事案です。
医師は、腹腔内出血を疑うべき血圧低下等の所見が現れていたにもかかわらずこれを軽視し、十分な措置もとらずに帰宅しました。その結果、患者女性は3時間余り放置されたまま病状が進み、亡くなりました。
裁判所は、この経緯に照らして本人およびご遺族の精神的苦痛は大きいとして、交通事故事件よりも高額の慰謝料を認めました。死亡慰謝料とご遺族固有の慰謝料の合計で2,700万円です。
控訴審である東京高等裁判所平成19年9月20日判決は、医療事件と交通事故事案とで慰謝料水準が異なるとは一概にいえない、としました。ただし、当該事案の過失態様の悪質性と被害の大きさに照らして、慰謝料の合計額としては地裁判決と同額を認めています。
つまり「医療事故だから一律に高い」とまでは言い切れないものの、過失の態様が悪質であれば、算定表の目安を超える金額が認められる余地があるということです。算定表は出発点であって、上限ではありません。
因果関係を立証しきれないときの慰謝料
医療事故で最も高い壁が、因果関係の立証です。「適切な医療が行われていれば、この結果は避けられた」ことを高度の蓋然性をもって示さなければなりません。
ただし、そこに届かなかった場合に賠償がゼロになるとは限りません。最高裁は、段階の異なる救済ルートを認めています。
「相当程度の可能性」の侵害
最高裁平成12年9月22日判決は、医師の過失行為と患者の死亡との因果関係の存在を証明できなくても、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されれば、患者が生命を維持する可能性という法益を侵害したものとして、医療機関は損害賠償責任を負うとしました。
この考え方は死亡事案に限りません。最高裁平成15年11月11日判決は、重い後遺症が残った場合にも同様の判断をしています。下級審でも、左肺の全部摘出(仙台高等裁判所平成20年8月28日判決)や両眼の失明(大阪地方裁判所平成19年11月21日判決)といった後遺症の事案で、相当程度の可能性の侵害が認められています。
賠償の対象は慰謝料にとどまる
ここは正確に押さえておく必要があります。
平成12年最判は、相当程度の可能性の侵害を認めて慰謝料の支払を認めた原審を是認しましたが、慰謝料以外の財産的損害が認められるかについては判断していません。逸失利益などの財産的損害も認められるとする学説はありますが、現在の下級審裁判例は、慰謝料(および弁護士費用)以外の財産上の損害を認めていないのが実情です。
したがって、相当程度の可能性の侵害で認められる金額は、因果関係が認められた場合の全損害と比べると、かなり低い水準にとどまります。
認められた場合の金額
認容額は、100万円程度から1,000万円程度の裁判例が多く、上限は2,000万円程度と言われています。実際の裁判例を挙げます。
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| 裁判例 | 事案 | 認容された慰謝料 |
|---|---|---|
| 大阪地方裁判所 平成21年3月25日判決 | 出産直後の妊産婦が出血性ショックにより死亡。担当医に適切な輸液を行う注意義務違反があり、これが尽くされていれば救命された相当程度の可能性があるとされた | 1,500万円 (弁護士費用とあわせて1,650万円) |
| 京都地方裁判所 平成20年2月29日判決 | 患者が心タンポナーデを発症しショックに陥った後、直ちに心嚢液の排液措置をとるべき義務を怠った過失がなければ、なお生存していた相当程度の可能性があるとされた | 1,000万円 (弁護士費用とあわせて1,100万円) |
| 大阪高等裁判所 平成13年7月26日判決 | 患者の家族らに小脳半球切除術の必要性等を説明し、患者に同手術を実施していれば、実際の死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性があるとされた | 1,000万円 (弁護士費用とあわせて1,200万円) |
| 千葉地方裁判所 平成28年3月25日判決 | 相当程度の可能性の侵害が認められた事案 | 800万円 (弁護士費用とあわせて880万円) |
最高裁平成12年9月22日判決の原審は、慰謝料200万円等を認容していました。金額は事案ごとに大きく幅があります。
高額が認められた事案には共通点があります。相当程度の可能性の「可能性」が、相当程度という幅の範囲内でも高い水準にあったと認定されている点です。大阪地方裁判所平成21年3月25日判決は、救命された可能性は相当高い程度に達していたと述べています。過失の程度も金額に影響したものと考えられます。
期待権の侵害
過失と結果との因果関係が認められず、さらに「相当程度の可能性」も認められない場合の、さらに手前のルートです。
最高裁平成23年2月25日判決は、適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである、と判示しました。その事案では請求を認めませんでしたが、「著しく不適切なものである事案」であれば責任が認められる余地を残した判決と理解されています。
この判決の後、下級審では次のような認容例があります。いずれも大阪の裁判例です。
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| 裁判例 | 事案 | 認容された慰謝料 |
|---|---|---|
| 大阪地方裁判所 平成23年7月25日判決 | 医師によって弛緩出血によるDICを疑われ、可能な限り速やかに輸血されるという治療行為を受けるという期待権を侵害されたことや、死亡という重大な結果が生じていることに照らして | 60万円 |
| 大阪地方裁判所 令和3年2月17日判決 | うつ病として精神科での入院治療を検討すべき義務を怠り、うつ症状への対症療法的な投薬をするにとどまり、うつ病と診断した形跡すらなかった医師対応について、医療行為は著しく不適切なものであったとして | 60万円 |
金額としては60万円と、決して高くありません。適用の場面もかなり限定されています。ただ、ほかのルートがすべて閉ざされた場合に、なお残る選択肢です。
説明義務違反(自己決定権の侵害)
最高裁平成13年11月27日判決は、医師は患者に対し、疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があればその内容と利害得失、予後などを説明すべき義務があるとしました。この義務は、患者が必要な情報を得たうえで自分の意思で治療法を選ぶ権利、すなわち自己決定権を保障するものです。
説明義務違反があった場合の損害額は、二つに分かれます。
説明義務違反と、死亡や傷害という結果との間に因果関係が認められる場合。すなわち、医師が説明を尽くしていれば患者は現実に施行された治療法とは異なる治療法を選択しており、その結果、死亡や傷害が発生しなかったであろうという関係が認められる場合です。この場合は、過失と結果の因果関係が認められた場合と同様に、全損害が賠償の対象になります。
因果関係が認められない場合。医師が説明を尽くしていたとしても、患者は実際と同じ治療法を選択したであろうという場合です。この場合、賠償の対象は自己決定権の侵害による慰謝料にとどまります。
第一の場合は全損害が対象になる分だけ有利ですが、説明義務違反と結果との因果関係についても高度の蓋然性の立証が求められるため、立証は容易ではありません。
第二の場合の慰謝料額は、かつては1,200万円(東京地方裁判所平成16年2月23日判決)や1,600万円(東京地方裁判所平成8年6月21日判決)といった高額の裁判例もありましたが、近時は100万円から300万円の範囲で認める裁判例がほとんどです。300万円を認めた例として福岡地方裁判所小倉支部令和3年3月4日判決があります。
弁護士のひとこと
説明義務違反は、過失の主張が難しいときの「予備の主張」と受け取られがちですが、私はそう考えていません。ご家族が最も納得できないのは、多くの場合「そんな危険があるなら聞いておきたかった」という点です。金額としては100万円から300万円にとどまることが多いのは事実で、この水準が低すぎるという批判は実務家の間にもあります。ただ、この主張が認められることの意味は、金額だけでは測れません。
医療機関側が持ち出す減額の主張
金額の交渉で必ず出てくるのが、医療機関側からの減額の主張です。代表的なものは二つあります。どちらも、言われるままに受け入れる必要はありません。
素因減額 ──「元の病気のせいだ」
患者側に落ち度がなくても、患者の身体的・心因的な要因が損害の発生や拡大に寄与しているときは、損害を公平に分担させるという考え方から、過失相殺の規定(民法722条2項)を類推適用して賠償額を減額できるとされています。
医療事故では、患者がもともと疾患を抱えているのが通常ですから、医療機関側はこの主張をほぼ必ずしてきます。しかし、その適用範囲には明確な限界があります。
診療の対象である病的状態は、素因減額の対象にならない。まさにその病気を治すために診療契約を結んだのですから、その病気を理由に賠償額を減らすのは筋が通りません。
医師が認識した、または認識することが期待できた病的状態も、素因減額の対象にならない。把握できていたはずの病状を、あとから減額理由に使うことはできません。
素因として考慮されるのは患者側の「疾患」であり、単なる身体的特徴は含まれない。最高裁平成8年10月29日判決が示した考え方です。
既存障害があっても、その障害が医療事故と競合する原因となって後遺障害を発生させたといえない場合は、素因減額は認められない。
素因減額を否定した裁判例も相応にあります。
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| 裁判例 | 素因減額を否定した理由 |
|---|---|
| 大阪高等裁判所 平成17年9月13日判決 | 前置胎盤の患者について、まさにその疾患を前提として安全に出産するために診療契約を締結していたのだから、素因減額の対象としない |
| 東京地方裁判所 平成18年4月20日判決 | 従前問題のなかった部位に新たに重大な障害が生じた以上、従前からこれと異質な機能に重度の障害を負っていたという事実は、減額事情にはならない |
| 名古屋地方裁判所 昭和60年10月31日判決 | 禁忌事由に該当する身体症状があることを、素因減額の対象としない |
弁護士のひとこと
「この病気なら、どのみち助からなかった」という主張は、ほぼ毎回出てきます。ここで大事なのは、それが診療の対象そのものではないかを確認することです。治すために病院に行き、その病気を治療する契約を結んだのに、その病気を理由に賠償を減らすというのは、順序が逆です。前置胎盤の大阪高裁判決は、まさにその筋を通した判断で、私はよく引用します。
過失相殺 ──「患者側にも落ち度があった」
患者側の落ち度が損害の発生や拡大に寄与した場合、過失相殺により賠償額が減額されることがあります。もっとも、診療契約は専門家である医療機関と患者との間の準委任契約であり、医療機関側の責任に重きが置かれるべきだというのが基本的な考え方です。実際、過失相殺を否定した裁判例が数多くあります。
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| 医療機関側が主張してくる類型 | 過失相殺が否定された場合 |
|---|---|
| 患者の受診が遅れた | 医療機関側の説明が不十分であったなど、受診の遅れがやむを得ないといえる事情があるとき |
| 問診での症状説明が不十分だった | 受けていた説明の内容や患者の知識・能力に照らして、十分な回答や申告が困難であったと考えられるとき |
| 診療を拒否した、自己管理を怠った | その診療行為の必要性について十分な説明を受けていないとき、患者の置かれた状況に照らして患者の行動を非難できないとき |
| 手術の危険を引き受けていた | 医療機関から丁寧で分かりやすい説明を十分に受けていないとき |
共通しているのは、いずれも「医療機関側が十分に説明したか」が分岐点になっているという点です。説明を受けていなければ、患者の行動を落ち度として責めることはできない、という筋です。
もともと後遺症が残ることが想定されていた場合
適切な医療が行われていても一定の後遺症が残ったと考えられる事案では、実際に残った後遺障害と、適切な医療を受けた場合に想定された後遺障害との差が賠償の対象になります。
逸失利益については、労働能力喪失率の差で計算した裁判例があります。東京地方裁判所平成17年2月17日判決は、後遺障害等級1級(労働能力喪失率100%)の状態になった患者について、過失行為がなければ5級(同79%)程度の障害にとどまったと推認されるとして、その差である21%の範囲で逸失利益を認めました。
後遺障害慰謝料も同様に、差額で考えた裁判例があります。福島地方裁判所会津若松支部平成12年8月31日判決は、事故前は3級の状態にあり事故後は2級の状態になったことから、両者の慰謝料の差額として350万円を認めました。
ただし、もともと想定されていた後遺障害と、適切な治療が受けられなかったことにより生じた後遺障害が、同種・同一部位とはいえない場合には、前者を理由に慰謝料を減額する必要はないと考えられています。
余命が短いとされる場合 ── 逸失利益と死亡慰謝料で扱いが違う
ここは混同されやすいところです。
最高裁平成11年2月25日判決は、医師が行うべき診療行為を行わなかったこと(不作為)と患者の死亡との因果関係について、患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば足りるとしたうえで、患者がその後どれほどの期間生存し得たか、すなわち余命については、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき事由であると判示しました。
つまり、逸失利益の計算では余命が考慮されます。実際、余命1年と認めて就労可能性は否定しつつ年金収入の逸失利益を認めた裁判例(東京地方裁判所平成18年2月23日判決)や、就労可能期間と将来の所得の立証が極めて困難であるとして相当な逸失利益を算定した裁判例(東京地方裁判所平成15年4月18日判決)があります。
しかし死亡慰謝料は別です。余命期間を減額事由とする裁判例もありますが、考慮していない裁判例もあります。過失と死亡との因果関係が認められる以上、想定される余命期間が短いという事情を死亡慰謝料の金額に影響させるべきではない、というのが患者側実務の理解です。過失の重大さや医師の事後対応の悪質性に照らして、死亡慰謝料の減額を考慮しなかった裁判例(東京地方裁判所平成18年9月1日判決)もあります。
慰謝料が増える事情
逆に、慰謝料が算定表の目安より高くなる事情もあります。
診療記録の改ざん、証明妨害
医師は、患者に適切な医療を提供するため診療記録を正確な内容に保つべきであり、意図的に作成者の事実認識と異なる加除修正や追記をすることは、診療記録の改ざんに該当します。
裁判例では、こうした行為に独立して金額がつけられています。
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| 裁判例 | 行為 | 認容された慰謝料 |
|---|---|---|
| 東京地方裁判所 令和3年4月30日判決 | 診療記録の改ざん行為。独立の不法行為と認められた | 100万円 |
| 甲府地方裁判所 平成16年1月20日判決 | 妊婦が出産後死亡した事案で、遺族が経過説明を求めたのに対し、医師が診療記録等の改ざんや看護師に対する偽証教唆といった証明妨害行為をした。説明義務違反の不法行為が成立 | 1,500万円 |
| 同上 | 新生児が出産後に死亡したのに、死産として虚偽の説明をした行為。説明義務違反の不法行為が成立 | 200万円 |
診療記録の改ざんは、慰謝料の増額につながるだけでなく、立証の面でも患者側に有利に働くことがあります。記録を保管している側が証明を妨げた事実は、裁判所の事実認定において考慮されるからです。
これは、証拠保全や早期のカルテ開示が重要である理由でもあります。改ざんを防ぐこと自体が、結果として賠償額に影響します。
基本的なミスや、事故後の不誠実な対応
初歩的な確認を怠った、事故後の対応が著しく不誠実だったといった事情は、慰謝料の増額事由として考慮されます。前に挙げた東京地方裁判所平成18年7月26日判決も、所見を軽視して帰宅し3時間余り放置したという経緯が、交通事故を上回る慰謝料額につながっています。
定期金賠償という選択肢
重い後遺障害が残った事案、とくに若い方や新生児に重度の障害が残った事案では、賠償の受け取り方そのものを検討する必要があります。
通常の一時金賠償では、将来分の逸失利益から中間利息が差し引かれます。加えて、将来の物価上昇や治療費の高騰にはまったく対応できません。被害者は、賠償金を受け取った後、生涯にわたって不安定な立場に置かれることになります。
そこで、定期金による賠償という方法があります。民事訴訟法117条1項は、定期金による賠償を命じた確定判決について、口頭弁論終結後に後遺障害の程度や賃金水準その他の算定の基礎となった事情に著しい変更が生じた場合、判決の変更を求める訴えを提起できると定めています。
最高裁令和2年7月9日判決は、被害者側が後遺障害逸失利益の定期金賠償を求めたのに対し、これを認容しました。あわせて、被害者が死亡した時点を定期金賠償の終期とすることを要しないとも判断しています。
裁判所が定期金賠償の判決を下すためには、原告が定期金賠償を求める必要があると判断した裁判例があります(東京地方裁判所平成17年2月24日判決)。訴訟の途中で気づいても遅い場合があるため、提訴の段階で検討しておく必要があります。
将来の介護費用も定期金賠償の対象になると考えられています。他方で、死亡による逸失利益や慰謝料は、定期金賠償の対象とはならないとされています(大阪地方裁判所平成17年6月27日判決)。
和解で解決する場合
冒頭で見たとおり、医事関係訴訟の51.3%は和解で終わっています。判決の認容率が約2割であることを考えると、実際の解決の多くは和解によって図られていることになります。
和解金に決まった相場はない
「医療過誤の和解金の相場」を探している方は多いのですが、和解金に相場表はありません。和解は、当事者が譲り合って合意する手続だからです。同じような事案でも金額には幅が出ます。
弁護士のひとこと
相場表はありませんが、交渉の場で金額が動く要素は決まっています。判決になった場合にいくら認められそうか、過失や因果関係の立証にどれだけ不安が残るか、そして解決までにあとどれだけ時間がかかるか。この三つです。裁判所は審理の途中で心証を示してくれますから、そこからの逆算になります。私が依頼者にお伝えするのは、「和解は妥協ではなく、判決という選択肢と並べたうえでの選択です」ということです。
「損害賠償金」か「解決金」か
示談書・和解調書に書く金銭の名目には、二つの型があります。ここは金額と同じくらい重要です。
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| 名目 | 使われる場面 |
|---|---|
| 損害賠償金 | 医療機関が責任を認めている場合。金額を明示する |
| 解決金 | 医療機関の責任の有無を明らかにしないまま示談を成立させる場合 |
「解決金」名目は、医療機関が責任を認めていないことの裏返しです。金額だけを見て合意する前に、どちらの名目になっているかを確認してください。
判決では得られないもの ── 謝罪と再発防止
和解の最大の利点は、金銭以外の条項を入れられることです。謝罪条項と再発防止条項は、判決では絶対に勝ち取れません。
謝罪条項の文言はケースバイケースです。「被害が生じたことについて、心から謝罪する」という簡潔なものもあれば、事故発生に至る具体的な経緯を記載したうえで謝罪する詳細なものもあります。
ただし、医療機関が有責であることを認めていない場合は、「謝罪」という文言に抵抗を示されることが多く、結果的に「哀悼の意を表する」「遺憾の意を表する」という表現にならざるを得ない場合もあります。この違いは、ご遺族にとって決して小さなものではありません。どこまで求めるかは、事前に方針を決めておく必要があります。
再発防止条項は、同じ事故が二度と起こらないようにしてほしいという被害者側の願いを条項化するものです。将来につながる結果を残すことで、その解決に意味を見出せる場合があります。これも、医療機関が有責性を認めている場合には合意できることが多く、そうでない場合には記載に抵抗を示される傾向にあります。
なお、損害賠償金は医師賠償責任保険から支払われるのが通常です。交渉の相手は医療機関だけでなく、その背後にいる損害保険会社でもあります。
弁護士費用と手取り額
賠償額が決まっても、そこから弁護士費用が差し引かれます。医療事故は、協力医への意見書作成費用、医学文献の収集費用、鑑定費用など、実費も相応にかかります。
裁判で認められた場合、弁護士費用の一部を相手方に請求できます。認容額の約1割が一つの目安で、この記事で紹介した裁判例も、多くはその水準です。ただし、これは当然に1割になるという意味ではありません。弁護士費用の額は事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を考慮して定められるもので、当然に認容額の約1割とすべきものではない、と判示した裁判例もあります。実際、大阪高等裁判所平成13年7月26日判決は慰謝料1,000万円に対して200万円を認めています。
当事務所の一般民事の報酬は、旧日本弁護士連合会の報酬等基準を踏襲しています。着手金の最低額は交渉22万円・訴訟33万円、報酬金の最低額は交渉33万円・訴訟55万円です(いずれも税込)。具体的な金額は事案の内容によりますので、ご相談の際に見通しとあわせてお示しします。
よくある質問
Q. 医療過誤の和解金に相場はありますか。
A. 相場表はありません。和解金は、判決になった場合の見込額を出発点に、過失や因果関係の立証にどの程度の不安が残るか、解決までにどれだけ時間がかかるかを織り込んで決まります。同じような事案でも金額に幅が出ます。なお、医事関係訴訟で終了した事件の51.3%は和解で終わっています(令和7年)。
Q. 賠償額をシミュレーションできますか。
A. 慰謝料と逸失利益の積み上げまでは計算できます。ただし医療事故では、そこから原疾患の影響をどう扱うかという争点があり、さらに過失と因果関係が立証できるかという前提の問題があります。自動計算で出る数字は上限の目安であって、実際に受け取れる金額ではありません。診療記録を検討したうえでの見通しが必要です。
Q. 医療裁判で勝てる割合はどのくらいですか。
A. 判決まで進んだ事件の認容率は、令和7年で23.9%です。民事第一審通常訴訟全体の87.2%と比べて著しく低い水準です。ただしこれは判決に至った事件の中での割合で、終了した事件の半数以上は和解で解決しています。
Q. 解決までどのくらいかかりますか。
A. 提訴から終局までの平均審理期間は24.1か月です(令和7年)。民事第一審通常訴訟全体の8.9か月の約2.7倍です。これに加えて、提訴前の診療記録の入手と医学的検討に数か月から1年以上を要するのが通常ですので、ご相談から解決まで3年前後を見込んでおく必要があります。
Q. 「元の病気のせいだ」と言われました。減額されてしまいますか。
A. 必ず減額されるわけではありません。診療の対象であった病的状態は、まさに診療の対象なのですから素因減額の対象になりません。医師が認識していた、または認識できたはずの病状も同じです。素因として考慮されるのは患者側の「疾患」であり、単なる身体的特徴は含まれません。前置胎盤の患者について、まさにその疾患を前提として安全に出産するために診療契約を締結していたことから素因減額を否定した大阪高等裁判所平成17年9月13日判決があります。
Q. 高齢の親が亡くなりました。慰謝料は低くなりますか。
A. 高齢であることだけを理由に死亡慰謝料を減額すべきではないというのが実務の考え方です。人の生命は基本的に等しいものとして評価すべきだからです。裁判例でも、予後が不良であったことが想定されていたなどの事情がない限り、ご遺族固有の慰謝料を含めた合計で2,000万円以上が認められたケースはよく見られます。
Q. 医療事故にも後遺障害等級の認定はありますか。
A. 等級表そのものは医療事故でも参考にしますが、交通事故の自賠責保険のように等級を認定してくれる手続はありません。後遺障害診断書のひな形も存在しないため、各医療機関の診断書を用いて作成します。等級表に載っていない後遺症が生じた場合は、実際の被害がどの等級と同程度かを検討したうえで「◯級相当」として主張立証します。
Q. 因果関係が証明できなければ、まったく請求できませんか。
A. そうとは限りません。「生存していたであろう」と言い切れなくても、「生存していた相当程度の可能性があった」と示せれば、その可能性の侵害を理由に慰謝料が認められます。認容額は100万円程度から1,000万円程度の裁判例が多く、上限は2,000万円程度と言われています。ただし、現在の下級審は慰謝料と弁護士費用以外の財産的損害を認めていないため、因果関係が認められた場合の全損害と比べると金額は低くなります。
Q. 説明を受けていなかったこと自体で慰謝料を請求できますか。
A. できます。説明義務違反と死亡や傷害との因果関係が認められる場合は全損害が賠償の対象になります。因果関係が認められない場合は自己決定権の侵害による慰謝料にとどまり、近時は100万円から300万円の範囲で認める裁判例がほとんどです。
Q. 失敗した手術の代金は返してもらえますか。
A. 請求を検討する価値はあります。診療契約は準委任契約なので、予定した結果が出なかっただけでは治療費の返還は認められないのが原則です。もっとも、その医療行為が結果的に無意味ないし無価値であったといえる場合には、手術代金相当額を損害と認めた裁判例があります。豊胸手術で再手術が必要になった事案、近視矯正手術の事案などです。
Q. 賠償金を分割で受け取ることはできますか。
A. 定期金賠償という方法があります。最高裁令和2年7月9日判決は後遺障害逸失利益の定期金賠償を認めました。将来の介護費用も対象になると考えられています。ただし、裁判所が定期金賠償の判決を下すには原告がこれを求める必要があるとした裁判例があるため、提訴の段階から検討しておく必要があります。死亡による逸失利益や慰謝料は対象になりません。
Q. 医療事故の損害賠償請求に時効はありますか。
A. あります。不法行為として請求する場合、生命または身体を害する不法行為による損害賠償請求権は、損害および加害者を知った時から5年、不法行為の時から20年で時効になります。診療契約の債務不履行として請求することもでき、この場合も生命身体の侵害については権利を行使することができることを知った時から5年、権利を行使することができる時から20年です。起算点の見極めが難しいので、期間が経過していそうな場合でも一度ご相談ください。
医療事故の賠償額は、算定表の数字だけでは決まりません。過失と因果関係が立つか、原疾患の影響がどこまで差し引かれるか、和解で解決するとして何を条項に盛り込むか。これらを診療記録にあたって検討してはじめて、見通しが立ちます。
難波みなみ法律事務所(大阪・心斎橋)では、医療事故の損害賠償について、見通しの整理からお手伝いしています。
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